~海洋生態系の予測精度を向上しうる新知見~
2024.08.22
海の生態系は、植物プランクトンによる光合成を主とした有機物の生産(一次生産)に支えられています。海の一次生産の全体のおよそ半分を担う広大な低緯度海域では、一次生産に必要な栄養塩の多くは、南大洋(南極大陸周辺の海)の表層付近から流れ込んできている、と長らく考えられてきました。
東北大学・海洋研究開発機構 変動海洋エコシステム高等研究所(WPI-AIMEC)のKeith B. Rodgers教授と、海洋研究開発機構(JAMSTEC)、ソルボンヌ大学などの研究者からなる国際共同研究チームは、海洋観測データと海洋生態系モデルによる数値シミュレーション実験により、低緯度海域の一次生産を支える栄養塩の半分以上は、実は同海域の「トワイライトゾーン」(光がほとんど届かない中深層)でバクテリアによる有機物の分解によって再生され表層に運ばれてきたものであるという、従来の定説を覆す知見を得ました。
気候変動の現在の主要な影響予測においては、海洋の一次生産の将来予測の結果が、使用する海洋生態系モデルごとに大きく異なっています。本研究の成果は、海洋生態系の将来予測の不確実性を低減させ、漁業など海洋の生態系サービスの持続可能な利用に有益な知見を提供することが期待されます。
本成果は8月22日(日本時間)、科学誌Natureに掲載されました。
私たちが生きていく上でなくてはならない酸素を供給し、日々の食生活も根底から支えているのが植物等の光合成による一次生産です。地球全体の一年間の一次生産のおよそ半分は海の表層を漂う小さな植物プランクトンが、残りの半分は森林など陸上の植生が行っていると推定されています。赤道をはさむ南緯30度から北緯30度までの低緯度の海は、その面積が広大なこともあって、海洋全体の一次生産の約半分を担っています。海洋の一次生産は、太陽光が十分に届く海面からわずか150メートル程度までの表層で行われます。海洋の水深は平均約4000メートルにも達するので、太陽光が届き植物プランクトンが活動できる表層の下には、広大な暗い海が広がっています。このうちわずかな太陽光しか届かない薄暗い海トワイライトゾーン(注1)で起きているバクテリアによる有機物の分解が本研究の焦点です。
海洋表層で植物プランクトンが光合成を行い増殖するには、適度な太陽光と海水中にふんだんに溶けている二酸化炭素、そして必ずしも豊富にあるとは限らないリン酸塩、硝酸塩、ケイ酸などの栄養塩(陸上の肥料に相当)が必要です。海洋表層は太陽光がよく届くので、残りの制限要素である栄養塩があれば、植物プランクトンは光合成を行い、有機物を生産することができます。表層で生産された有機物は、プランクトンの死骸や排泄物などのかたちでマリンスノーとして下層に沈んでいきながら、そのほとんどはバクテリアにより分解されて栄養塩へと戻ります(これを栄養塩の再生と言います)。このため、光合成が行われる表層では栄養塩が減少し、その下層のトワイライトゾーンでは栄養塩が比較的豊富な状態が形成されます。このままでは表層ではいずれ栄養塩が枯渇してしまうため、植物プランクトンが光合成を継続的に行うことができません。しかし、多くの海域では、海水が上下にかき混ぜられたり、下層の海水が表層に湧き上がったりすることで、下層の栄養塩が再び表層に供給され、一次生産が維持されています。
ここまでは話を簡単にするため、海水の水平方向の動きは考えませんでした。しかし実際には、海水は地球全体を東西南北・上層下層へと3次元的に循環しています。この海洋循環により、南大洋(注2)では栄養塩が豊富な中深層の海水が表層へと運ばれており、さらにはそれが南大洋の表層で冷やされて重くなり、低緯度の中深層へと沈降しながら運ばれています。このため、低緯度海域の中深層には、南大洋の表層で使われ切れなかった栄養塩が供給されていると考えられます。海洋全体の一次生産のおよそ半分を担う低緯度の海において、一次生産を支えるトワイライトゾーンの栄養塩はどこからくるのか?という問いに対して、これまで「その大半が海洋循環により南大洋の表層から低緯度海域にもたらされている」という仮説が長く、広く信じられてきました。しかし、本研究は、観測船による長年の海洋観測によって蓄積された栄養塩データの解析と、海洋生態系モデル(注3)による感度実験に基づいてその仮説を覆し、低緯度海域の生物生産を支える栄養塩の供給過程においては、同じく低緯度海域のトワイライトゾーンでバクテリアによって再生された栄養塩こそが重要である、という新たな知見を得ることに成功しました。
Keith Rodgers教授が率いる国際研究チームは、まず、日本の気象庁やJAMSTECを含む世界の研究機関によって取得された過去数十年の多くの正確な海洋観測のデータによって、低緯度海域のトワイライトゾーンに大量の栄養塩が貯まっていること、そしてその大半は、海の表層から沈降などによって運ばれてきた有機物がバクテリアによってその場で分解・再生されてできたものであることを示しました。これはつまり、低緯度海域では、遠くはるばる南大洋から運ばれてきた栄養塩ではなく、その場の下層のトワイライトゾーンで再生された栄養塩こそが海洋表層に供給されて、一次生産と生態系を支えていることを示唆しています。
そこで研究チームは次に、低緯度海域のトワイライトゾーンにおける栄養塩再生の重要性を定量的に評価するために、スーパーコンピューターを使って海洋生態系モデルによるいくつかの数値シミュレーション実験を行いました。具体的には、モデル内で低緯度海域のトワイライトゾーンにおける栄養塩の再生を仮想的に止めて計算を行い、再生される場合の計算結果と比較(感度実験)しました。
その結果、低緯度海域の一次生産を支える栄養塩の半分以上(53%)は、低緯度海域のトワイライトゾーンでバクテリアによって再生された栄養塩であり、現行のパラダイムで重要とされている南大洋の表層から遠く運ばれてくる栄養塩は、低緯度海域の一次生産の7%を支えるに過ぎないことが明らかになりました。以上により研究チームは、低緯度海域では、その場のトワイライトゾーンにおけるバクテリアによる栄養塩再生こそが、表層の莫大な生物生産を支える重要な過程であると結論づけました。
「IPCC(注4)による海洋生態系の変化予測においてこれまで見過ごされてきた不確実性について、私たちの研究は、その理解を深めるのに重要な(すくなくとも私たちはそう見ている)メカニズムに光を当てるものです」と、この論文の共著者のひとりであるフランス・ソルボンヌ大学ピエール=シモン ラプラス研究所海洋・気候研究室(IPSL/LOCEAN)のOlivier Aumont博士は説明します。
世界の海の一次生産の将来予測は、IPCCの気候変化予測・影響評価に使用されている世界の研究機関の地球システムモデル(注5)で行われています。しかし、世界中の海で積算した一次生産量は増えると予測するモデルもあれば、減ると予測するモデルもあり、モデル間の差(不確実性)が非常に大きいのが現状です。本研究は、将来の水温上昇に対するトワイライトゾーンでの栄養塩再生過程の変化を表現したモデルとそうでないモデルの違いが、一次生産の将来予測のモデル間の差のひとつの要因になっている可能性も指摘しました(図1)。したがって、本研究で得られた知見が適切に地球システムモデルに反映されることで、信頼度のより高い一次生産の将来予測につながることが期待されます。
本論文の共著者のひとりである海洋研究開発機構の山口凌平博士は、「本研究でその一端が解明された表層とトワイライトゾーンの生態系のリンクのような、非常に複雑な海洋の生態系プロセスを理解することや、海洋生態系への広範な影響が危惧される、人為的な二酸化炭素排出や温暖化によって進行している海洋酸性化と海洋貧酸素化の実態を把握することなどにおいては、過去数十年にわたって海の生物地球化学観測の礎を担ってきた国際的な船舶観測網の正確な観測データが極めて重要な役割を果たしています。今後も船舶観測網を維持しつつ、これに加えて国際協力により生物地球化学アルゴフロート(注6)等による自動観測網をいっそう発展させ、そのデータを活用することは、それらのさらなる理解に大いに貢献するでしょう。」と話しています。
本研究は、水産資源として重要な海の生物の生息域が、気候変動にどのような影響を受けるかについての予測にも役立つと期待されます。表層と中深層トワイライトゾーンの生態系のカップリングの様相が気候変動によって変化すると、海の表層から深層にかけての二酸化炭素や酸素濃度の分布も変わり、温暖化・酸性化・貧酸素化の三重のストレスによって起きる魚などの生息域の縮小の度合いにも影響すると考えられます。「地球システムモデルによる将来の魚類生物量変化の予測には、まだ大きな不確実性が存在しています。これはモデルにおいて気候システムの物理プロセスを再現するスキルが不足しているだけでなく、植物プランクトン群集による一次生産、動物プランクトン群集、有機物の沈降、バクテリアによる分解など低次生態系の相互作用が適切に表現できていないからです。」と、共同研究者の一人アメリカ・カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のDaniele Bianchi博士は話します。「気候のシステムや生態系のシステムがどのように機能しているのかについて我々の理解が進めば、海の生態系とそれから私たちが受けることのできるサービスの将来予測の不確実性を低減できるでしょう。」
本研究は、日本学術振興会 科学研究費助成事業(JP24H02221、JP24H02224)の支援を受けました。
【用語説明】
注1. トワイライトゾーン
水深およそ150~1,000メートルの太陽の光がほとんど届かない水深帯のこと。
太陽の光がよく届く海面~水深およそ150メートルの水深帯は有光層と呼ばれる。
注2. 南大洋
南極の周囲に広がる海。南緯40度以南を指すことが多い。
注3. 海洋生態系モデル
動植物プランクトンやその死骸、および栄養塩等の海洋の低次生態系を構成する要素を数値モデル化したもの。
海洋循環モデルとともに計算され、流れや海水の混合がある海の中で各構成要素がどのように変化するかを調べる。
注4. IPCC
Intergovernmental panel on Climate Change (気候変動に関する政府間パネル)。
各国政府の気候変動に関する政策に対し科学的な根拠をあたえるための主に研究者や政府関係者で構成される国連の組織。
注5. 地球システムモデル
地球のサブシステムである大気、海洋、陸域の気候に関わるさまざまな過程をモデル化し、それらを結合した数値モデル。
将来の気候変動予測に用いられる。上述の海洋生態系モデルは地球システムモデルを構成するひとつの要素モデル。
注6. 生物地球化学アルゴフロート
アルゴフロートは、全世界の海で常時3000台以上稼働している自動計測ロボットで、水温、塩分、圧力の測定データを10日に1回送信している。
生物地球化学アルゴフロート(BGCアルゴフロート)は、これを拡張したもので、生物化学的な観測要素(溶存酸素、pH、硝酸塩など)も測定できる。
Low-latitude mesopelagic nutrient recycling controls productivity and export
Keith B. Rodgers*, Olivier Aumont*, Katsuya Toyama, Laure Resplandy, Masao Ishii, Toshiya Nakano, Daisuke Sasano, Daniele Bianchi, and Ryohei Yamaguchi
東北大学・海洋研究開発機構 変動海洋エコシステム高等研究所(WPI-AIMEC) Keith B. Rodgers 教授
東北大学・海洋研究開発機構 変動海洋エコシステム高等研究所(WPI-AIMEC) Keith B. Rodgers 教授
ソルボンヌ大学 ピエール=シモン ラプラス研究所 海洋・気候研究室(IPSL/LOCEAN) Olivier Aumont 研究員
Nature
DOI:10.1038/s41586-024-07779-1