コラム

海洋瑣談(No.1、2024年6月15日)

研究発表手段の変遷

 最近、所属する学会と自分の関わりを振り返る機会があった。いろいろと思い出している中で、研究集会での発表手段が時代とともに大きく変わって来たことが頭をよぎった。これを記しておくのも一興かと思い、本稿を認めた。

 以下、研究発表手段の使われていたおおよその年代も記すが、ある時期を境に一斉に、一挙に変わったということではなく、複数の手段が併用されている遷移期間があるのは当然のことである。ただ、研究集会での発表では、どれか一つの手段に絞って運営されたのではなかろうか。どの研究集会(学会)でどの研究発表手段が使われたのか、この辺りのことを調べてみるのも面白いかもしれない。

1.模造紙の時代(おそらく戦前~1960年代)

 模造紙を利用しての発表。現在のポスター発表と同様のスタイル。ただし、手書きであり、会場内の全員に見えるようにするために、字を大きくしなければならず、盛り込む情報も制限されたものとなったのではなかろうか。

 TPOに関する情報はまったく思い出せなのだが、木村喜之助先生(1903~1986)が三陸沖の潮目の研究について模造紙を使って発表されていたのを微かに覚えている。

2.スライドの時代(1950年代~1990年代)

 35ミリフィルム・スライドと映写機を用いた発表。私はこの時代から。写真の撮影・現像ができる人は自分で作成していたが、通常は写真屋さんに頼む。誤った記載に気づいても修正はできないため作成し直すはめに。費用もかかるので、作成には慎重にならざるを得なかった。1980年代になるとスライドを簡単に作る機器が開発されて、とても重宝した覚えがある。 研究集会では発表前に、自分でスライドを順序通りホルダーに入れて、運営スタッフに渡さなければならない。時には上下が逆さまや、表裏が逆になることも。パワーポイント(パワポ)全盛の現代でも、一枚の画像シートを一枚の‘スライド’と表現するのはこの時代の名残である。

3.OHPの時代(1990年代~2000年代)

 次はOHP(overhead projector:オーエイチピー)。トランスペアレンシー・シート(または、OHPシート)を強力な光源を持つ‘頭上’投影機のガラス面に乗せて後方のスクリーンに映しだす。シートにはコピー機で原稿を印刷したり、手書きしたりする。手書きができるので、スライドと違い発表直前まで準備する人もいた。発表では使うOHPを持参して壇上に立ち、交換も当人が行うので運営の手間はずいぶんと省けた。ただ、修正機能もあったが、どうしても画面が歪んでしまうのが難点である。現在でもブレーンストーミングの時に、多数のポンチ絵や記号などを描くような場合は、パワポよりもこのOHPが、まだまだ役に立ちそうである。

4.パワーポイントの時代(2000年代以降)

 現在は、言うまでもなくパワポで作成したコンテンツをプロジェクターで投影するスタイル。パワポは1987年に米国のある会社が開発したソフトウェアだが、直後にマイクロソフトがその会社を買収して、マイクロソフト社の定番ソフトになった。日本語版の発売は1995年からだという。今となっては詳しくは思い出せないが、私が2000年に行った講演はOHPを使用したので、私も含め多くの研究者がパワポを使用し始めたのは2000年代半ばからではないだろうか。なお、パワポのコンテンツはデジタルデータなので、対面でもオンラインでも、ハイブリッドでも、発表情報を提供できる。また、画像のみならず音源もデジタル化できるので、様々なスタイルで学会が運営できる。

 それぞれの手段で資料の作り方のコツがあり、工夫次第で発表のアピール度も違ったものになる。多くの方に研究を印象付けるためには、発表を工夫するに越したことはないのだが、いつの時代でも研究の中身が一番大切なことは言うまでもありませんね。皆さん、いい研究をしましょう。

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