コラム

海洋瑣談(No.10、2025年3月15日)

神様の恋も邪魔する温暖化 -諏訪湖の御神渡りー

 今月(3月)3日(月)の毎日新聞夕刊に、宮坂一則記者による「神渡らぬ冬 7季連続/長野・諏訪湖 温暖化 氷結続かず」なる見出しを持つ記事が掲載された。長野県の諏訪湖では、結氷した湖面が割れて山脈のようにせりあがる現象が起こることがある。この現象をさして「御神渡り(おみわたり)」と呼んでいる。

 諏訪大社は諏訪湖を挟んで湖の北にある上社と、南にある下社に分かれているが、結氷した湖面が割れてせりあがったところ(道)は、上社の男神「建御名方神(たけみなかたのかみ)」が、下社の妃神「八坂刀売神(やさかとめのかみ)」のもとに通う(通った)道と言われているのだそうだ。この記事には、「(御神渡りは)『神様の恋の通い路』と呼ばれるゆえんだ」とある。

 さて、この御神渡りの出現については、諏訪神社上社の神長(かみおさ)である守矢家や神職家に伝わる古文書に記載されているのだそうだ。一時途絶えたこともあるが、室町時代の1397年から今年まで、583年の記録があるという。

 御神渡りが出現しなかった年は「明けの海」と呼ばれるが、記録がない5年(記事では回を使っているが、本稿では年とする)を含め、これまで81年あったという(記録された年の14%)。ところが、1951年以降の75年間で40年(53%)、2000年以降に限れば26年間で18年(69%)と、激増している。そして、記事の見出しのように、2019年から今年2025年までの7年間は連続して出現していない。

 この記事は、御神渡り出現の判定と関連する神事を司る八剱(やつるぎ)神社(注:諏訪大社上社の管理を行っている神社)の宮坂清宮司の次のようなコメントで締めくくられている。「(略)温暖化(の影響)を考えざるを得ない。気候変動は対岸の火事のように思いがちだが、身近な諏訪湖でも結氷が見られないなど変わってきていると認知することが大事。(略)」

 温暖化は、「神様の恋の通い路」の出現をも邪魔しているのである! これでは罰が当たるではないか! いや、人類はもう罰が当たっているかもしれない。

 なお、気候学分野では、御神渡りに関する長年の情報は古気候(昔の気候)を復元するための代替資料として極めて有益であると考えられており、多くの研究がなされてきているようである(例えば、参考文献-1)

 ここから話はがらりと変わる。この記事を読んで、半世紀以上も前であるが、東北大学の学生の時に地震学講座の浜口博之先生(現東北大学名誉教授)から御神渡りに注目して研究しているとの話を聞いたことを思い出した。先生がどのような表現をしていたのかは定かではないが、御神渡りは氷板が押し合ってできたもので大陸プレート同士の衝突に似ており、その研究は地球物理学的にも意義のあること、と私自身は思っていた。

 そこで、御神渡りの研究にはどんなものがあるのだろうとの興味で調べてみたところ、先述の気候学や気象学のほか、水文学・湖沼学、雪氷学、そして地震学、地球物理学と多くの分野の研究が行われてきたことが分かった。そして、御神渡りの成因について、つい最近になって決着がついた、と言われていることも分かった。以下、ごく簡単にこの経緯について記す。

 先述のように、浜口先生のグループは1970年代から80年代にかけて、諏訪湖で精力的に観測を行い、プレートテクトニクスを理解しようと試みていたようである。実際、多くの論文が出版されており、著者の中には私の同級生の名前もあった。その浜口先生が、2009年に「諏訪湖『御神渡り』成因論再考」という論文を書いたのだそうだ(参考文献-2)

 浜口先生はまず、従来の成因説は「観察」に基づいており、きちんとした「観測」による証拠を示していないことを指摘したうえで、従来言われていた氷の熱膨張によるという成因ではなく、冷却の結果、氷板の下部にできるクラック(裂け目、あるいは割れ目)に水が浸入し、夜間の冷却で侵入した水が結氷するときの体積増加で氷板が割れて御神渡りができる、という説を提出した。

 従来の説は、日中、太陽からの日射で氷温が高くなって氷が膨張する結果、夜間の低温収縮でできていた亀裂のところで氷板が衝突し、その結果として御神渡りができるというものであった。

 これら両説に対して決着をつけたのが長年北海道の屈斜路湖にできる御神渡りを研究してきた東海林(とうかいりん)明雄先生(北海道教育大学名誉教授)である。先生は長年の氷上観測を整理し、また、ビデオカメラによる御神渡り出現時の動画も添えて論文を2021年に発表した(参考文献-3)

 東海林先生の結論は従来説を支持するもので、繰り返しになるが、日中膨張する氷板同士が、夜間の冷却による収縮でできていた亀裂部分で衝突し、御神渡りが出現するというものである。ご自身の観測資料を用いて、形成される割れ目の大きさや、氷板の熱膨張の程度などが定量的に示された。また、このような日周変化が繰り返されることで、御神渡りが次第に発達することも同時に明らかにした。

 御神渡りの成因に関する紹介は以上である。結果として浜口先生が提出した説は否定されたが、新説提案の意義は十分にあったのではなかろうか。浜口先生は、単なる「観察(=思い込み)」ではなく、きちんと定量的な議論ができるよう「観測(=証拠)」を行うことの重要性を指摘した。結果として東海林先生による証拠に基づく研究を導いたのである。

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