海洋瑣談(No.4、2024年9月15日)
調べ物をしている最中、ヨーロッパ地球物理学連合のホームページを見る機会があった(2024年8月22日)。そこで突然目に飛び込んできたのは、「Absence of causality between seismic activity and global warming(地震活動と地球温暖化の間の因果関係は存在しない)」と題するハイライト論文の紹介記事であった(末尾に参考文献を記す)。
それはそうだろうなと思いつつ、どうしてこのような論文が書かれなければならなかったのだろうと興味がわいたので、早速ダウンロードして読んでみた。この論文、印刷すればたった3ページの短いものであった。
2022年にロシアの研究者たちにより、北極域の地震活動が地殻に一種の波動を励起し、この波の伝搬により凍土に含まれるメタンなどを大気中に放出したので、温室効果ガスが大気中に増えたという論文が提出されたのである(参考文献参照)。すなわち、地球温暖化は人為的でないことを主張している。この結論の妥当性を確かめるのがこの論文の目的であった。
著者らは両者の因果関係を調べるため、「条件付き分散法(method of conditional dispersion)」を採用し、数種の地震活動度指数の時系列と全球の気温偏差の時系列を用いて検討した。その結果、地震活動度と気温の上昇の間には因果関係は見いだせないことを示した。一方、同じ手法を用いて、大気中の二酸化炭素濃度の時系列と全球の気温偏差の時系列との関係を調べたところ、確かに因果関係が認められることを示したのであった。
さて、どうしてロシアの研究者たちの論文が生まれたのであろうか。次の様な意図が働いていたと容易に想像できる。すなわち、ロシアは石油や天然ガス、石炭などの化石燃料資源を豊富に持ち、それらを輸出することで国力を維持している国である。脱化石燃料が叫ばれる中であるが、ロシアとしては今後も輸出を維持したい、したがって、その消費と地球温暖化の因果関係を否定したい、すなわち、温室効果ガスの増加は化石燃料消費とは無関係で、地震活動こそが地球温暖化の原因なのだ、という主張をしたかったのであろう。
これに対し、論文の著者らは、ほとんどの研究者は彼らの結論を一笑に付すのであろうが、やはりきちんと科学的にも否定しておかなければならない、と考えてこの研究を行ったのだろう。
ところで、この論文の第2著者は、米国ペンシルバニア州立大学のマイケル・E・マン博士である。マン博士はIPCC第3次評価書が2001年に公表された際、地球平均気温が産業革命以降急激に上昇しているとのグラフを「捏造した」として、温暖化懐疑論者に攻撃された研究者である。
マン博士はこの攻撃に敢然と立ち向かい、身の潔白を証明するとともに、懐疑論者には石油メジャーからの資金提供があったことを明らかにした。この一連の論争を、平均気温のカーブがその形が似ているとし、「ホッケースティック論争」と呼ばれている。
後にマン博士はこの顛末を本に記している(参考文献参照)。マン博士は懐疑論者に対し、めげずに、くじけずに、粘り強い対応をしたことが記されている。私のお勧めの本である。私は2005~06年ごろ、IPCC第4次評価報告書をまとめる会議でマン博士をお見掛けしたことがあった。穏やかな表情のマン博士であったが、傍目では想像もできない正義感と闘志を胸に秘めた研究者なのだろう。
【参考文献】
1. Verbitsky, M.Y., M.E. Mann and D. Volobuev, 2024: Absence of causality between seismic activity and global warming. Earth Syst. Dynam., 15, 1015-1017.
https://doi.org/10.5194/esd-15-1015-2024
2. Lobkovsky, L.I., A.A. Baranov, M.M. Ramazanov, I.S. Vladimirova, Y.V. Gabsatarov, I.P. Semiletov and D.A. Alekseev, 2022: Trigger mechanisms of gas hydrate decomposition, methane emissions, and glacier breakups in polar regions as a result of tectonic wave deformation. Geosciences, 12, 372.
https://doi.org/10.3390/geoscences12100372
3. マイケル E. マン、2014:地球温暖化論争-標的にされたホッケースティック曲線-。化学同人、藤倉良/桂井太郎訳、504ページ。