コラム

海洋瑣談(No.27、2026年8月15日)

やはり「分」が悪いのかな

 今年になってから毎日新聞のコラム「毎日ことば」は、5面の社説の下、「仲畑流万能川柳」の欄と横並びで掲載されることとなった。それ以前は指定席がなく、時折、どの面のどの場所に掲載されているのかが分からず、探さなければならなかったが、今回の措置によりすぐにたどり着けるようになった。

 「毎日ことば」は毎日新聞校閲センターに所属する校閲記者が担当するコラムで、毎日、話題の言葉や表現を取り上げ、約300字で解説している。知らない言葉や表現が数多く取り上げられているので読むのが楽しみで、これもお気に入りの隣の欄「仲畑流万能川柳」とともに切り抜いてノートに貼り付けている。

 さて、先月(2026年7月)23日(木)の第1788回「毎日ことば」は、「『水分』は成分です」の表題を持つ記事であった。この表題に思わず「やはり、そうきたか!」とうなってしまった。まずは、このコラムの紹介である。

 コラムの最初の文章は、「『水分』は飲料などの成分を指すので、それを『持ち歩く』というのは変でしょうか」であった。そして、「サイトのアンケートで違和感や問題はないとした人は約3割でしたが、違和感はあっても『許容できる』という人も3割強。全体的にはあまり気にしない人が多数派です」と続いて、この解説は終わる。

 今年の日本は梅雨明け後すぐに猛暑となり、「今日は暑くなるので、『水分を持ち歩き』、こまめに摂るようにしましょう」などの表現が目立ってきたのを受けて、この欄で取り上げたのだろう。そして、アンケート結果を基に、この表現を気にしない人が多数派なので、おそらくであるが、この表現にとやかく言う必要はない、との立場で解説したのではなかろうか。

 酷暑日が頻発した今年の夏、熱中症への対策として「水分の補給」や「塩分の補給」の注意喚起が頻繁にテレビなどで叫ばれている。このような中で、「水分は(水という)成分です」は受け入れられているのだろう。そして、後述するように、「塩分は成分です」も受け入れられてきたのだろう。

 しかし、「水分を持ち歩く」は私には受け入れ難い表現である。「人間の体の水分は70%」などというように、「水分」とは対象としている物の「水の割合」というのが本来の意味ではないのか。したがって、「水分を持ち歩く」や「水分を摂る」との表現には違和を感じてしまう。「水を持ち歩く」や「水を飲む」でいいではないか。

 「分」を語尾に付けた言葉には、「水分」の他にも「塩分」「糖分」「アルコール分」などがある。上述のように、これらの用語は本来、対象としているものに含まれる、それぞれ「水の割合(比率、あるいは濃度)」「塩の割合」「糖の割合」「アルコールの割合」を意味している。たとえば、ビ-ルを入れた瓶や缶には、きちんと「アルコール分5%」などと書いている。

 しかしながら世の中では、塩分に「濃度」を付けて「塩分濃度」なる用語が堂々と、広く用いられている。「塩分は成分」と理解し、その濃度だから「塩分濃度」だとしているのだろう。しかし、「分」が割合の意味なので、塩分濃度は「頭痛が痛い」のような重言(じゅうげん)となってしまうのである。

 海洋科学の分野では、1キログラムの海水に塩類が35グラム溶けているような状態を、「塩分(salinity)35」のように表現している。決して塩分濃度とは言わない。私は2017年に「海洋の物理学」という大学の学部生向けの教科書を出版したが、その中で「塩分濃度」なる用語は誤りであると明記した(参考文献-1)。また、これまでも「塩分濃度」はおかしな用語だと、何度かエッセイに書いてきた(参考文献-2、3)

 そうそう、「これは『分』が悪いのかな」と題したエッセイ(参考文献—2)は、2007年10月21日の毎日新聞の潮田道夫さんのコラム「千波万波(せんぱばんぱ)」に取り上げられた。塩分濃度はおかしいとの私の主張は理解するものの、毎日新聞では研究者の原稿での使用例などを除き、塩分濃度を使うだろうとのことであった。

 幸いなことなのだが、「水分濃度」「糖分濃度」「アルコール分濃度」は、「糖分濃度」の用例が若干見つかるものの、まだ世の中に蔓延していない。さてさて、いつまでこの状態が続くのやら。水分濃度やアルコール分濃度が使用されるのも、時間の問題なのだろうか。

 上述のサイトのアンケートで、「水分を持ち歩く」に違和感や問題はないとした人が約3割、違和感はあっても「許容できる」が3割強とのこと、したがって、「(違和感があって)許容できない」という残りの人が、いまだ3割強もいることになる。私はこのことを、とても心強く感じるのだが…。

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